一度ならず二度までも、というお話。
少し前の話になるが、12月の始めにエアアジアジャパンが事業撤退し、日本の空から去っていった。
ご存じの方も多いだろうが、エアアジアという会社が日本を撤退するのは2度目。初回はANAとの合弁事業として設立された会社だったが、経営方針が折り合わなかったようでエアアジアとして運行されたのは2年ほどだった。
今から遡ること約8年、初代のエアアジアに搭乗したことがある。探してみると、過去の写真が見つかったので、ちょっとした昔話を。
搭乗したのはエアアジアとしては本当に最後の頃で、徐々に便数が減りだしていた頃。出発案内の片隅には、機材返却で便数が減る旨のお知らせ。
当時はまだ第3ターミナルがなく、出発は第1ターミナルの片隅。今はPeachが第1ターミナルを利用してたような気がするが、このターミナルはどうなったのだろう。ここはプレハブのような建物で、行き先の掲示は完全な手動式だった。
搭乗口から飛行機まではバス移動。鮮やかな赤の飛行機はインパクト抜群。残念ながら機内の写真はないが、黒基調の革の座席に赤いシートベルトが映えていた。
初代エアアジアはわずか2年ほどで、搭乗したのはこの1回のみ。この後ANAはバニラエアを設立し、その後Peachに吸収されて今に至っている。当時、あのような最期を迎えた会社がまさか日本に返り咲くとは思いもしなかった。
2度目の日本就航は名古屋中心の路線展開で東京在住ではなかなか利用しづらく、一度くらい乗ってみようかとは思っていたものの、結局一度も搭乗する機会がないまま。そうしているうちに、昨年の末に突然撤退してしまった。
セントレアからの便で空港を滑走中に駐機しているのを見かけたのが最後。つい最近、最後まで残っていた1機が日本を飛び立ったらしい。
物事に「たら、れば」は禁物とはいえ、COVID-19さえなければ、ということが近頃多い。もし平穏な2020年が訪れていたとすれば、もう少し長い間日本を飛び回っていただろうか。
苦境に陥っているのは日本のエアアジアのみではなく、本国マレーシアも同様。ニュースによっては、フルサービスのマレーシア航空との合併すら囁かれている。LCCとはいえ、上級クラスはややもするとフルサービスよりも快適な場合もあり、旅行の選択肢としてなくなってしまうのはあまりにも惜しい。
変わらない日々が続いていれば、今時分は何をしていたやら。なんとも悲しくなってしまうが、エアアジアのニュースを見てそんなことを思った。
今回は何の情報もない、ただの思い出話。